裸の言葉隠さずさらす

そこからはじめよう

ヒョンなことから池内万作

世間話みたいになっちゃいますが
最近ヒョンな(科捜研の女の再放送をみた)ことから
池内万作さんを検索してみたんですね
元々ファンですが
なにかやりながらちらっと見てただけなんですけど、その時の“犯人役”がかっこよかったんですね
それで過去にやっていたブログがあったんで見たんですけどそれが
すんばらしく面白くてですね
まだパラっと見ただけなんですけど
この記事なんて最高です

猫テロと控室の鍵の話
http://s.ameblo.jp/mandeshita/entry-11651772518.html

猫飼っているんですね
さてさてとかどうもどうもとかいうのにいちいちキャハっとなって最高にはまりました
こんな方だったんですね最高ですね
面白すぎる
最近といっても昨年結婚なされて
文筆業のようなこともされてるようですね
たのぴー

おやすみなさい


ー追記ー

検索で、池内さんが大根役者?で、存在感があまりないと思うと書いてるブログを見たんですけどぉ

嘘つけっ!めちゃめちゃ存在感あんだろっ‼
池内さんの出ている映画全部観よ。

日記2017/01/18水曜日 水曜日生まれの私です、ハロー再見こんにちは。

 

突き当たりということは
もうそこから自分がなにもやっていないということ
そこから打破しようとしていない
だからずっと突き当たり
少しでもいいから
やりたいことを自分の気持ちに左右されて負けてしまわないように続けていくことからはじめて
自分でちょっとでも「風」を巻き起こしていくこと

 

自分が頭の中でこうしようと思ったことをすぐに実行する
ことをしないからいつまでも物事は動かないし
「風」も起こらない
でもそういうことって折りにつけて気付いて重ねて思うということが続いて
無意識に思い込むことまで至れないと
行動に移すまではいかないんだと思う

 

だから人はやっぱり経験で
ここでの経験というのは自分からする経験ではなくて主に生い立ちくらいのところで重ねてきた経験からの思い、考えで
それから人は自分がなにをしようかということを考えられるから
少しでも早い段階から無意識に動かされるようになにかを続けていけているという状態は

 

なにかが出来る、というのは
本当はそのくらい案外ヒョイと出来てしまっていることをいうんじゃないかと思っていて

もちろん全てがではなくて最初の取っ掛かりの部分で
そうやって出来ることの方がよくて

そうしないと結局はなにかが出来ているとはいえない気がして
それが才能がある、ないということなのかなと思うけど
思い込んでいる無意識があれば結局は出来ないことはないんじゃないかと思うし
ずっとやり続けていると急にヒョイと出来てしまうことがあるんだと思う

考え続けているとそうやって出来ることに気がつくということでもある

そういう思いで物事を続けたいと思っている

 

簡単にいうと
人は無意識くらいのところで動いていないと
続けていくのは難しいんじゃないかなって思って

いつきや勘というのはなににもまして大切だったりするということ

もちろん超強靭な精神を最初から持ち合わせて壁もなんのそのただぶち壊してやっているという人もいると思うのが
本当に人間というのは多種多様なんだよなと思わせるよね
ハハハ( ´∀`)

スピッツの「雪風」を聴いて思ったこと

スピッツの「雪風」の歌詞を解説しているブログを見て自分も書いてみたくなったので
聴いている時に思ったことをそのまま書こうと思いました。
「裸の言葉を隠さず」さらしちゃいますのですいません。
ファンなので、絶賛が前提ですが、何か?


まずは歌詞を


〝まばゆい白い世界は続いてた また今日も巻き戻しの海をエイになって泳ぐ
じゃれあってぶつかって大笑い 割れた欠片と同じ物を 遠い街まで 探しに行ったね

すごく懐かしいだろ? 可愛らしいだろ?
あの日の温もり よみがえる
これでいいかな? ダメって言うかな?
雪風の中 問いかけてみる〟


ということで早速、自分なりの解釈を


“まばゆい白い世界は続いてた”

は、絶望して死んだように生きていても
また朝がきて目が覚めれば嫌でも目入ってくる眩しいような世界とか
誰かのことについての思い出
のこと
ずいぶん暗い考え方だけど、、



“巻き戻しの海”

は、いまだに波がそうしか見えないような気持ち
過去を巻き戻して繰り返し思い返すことしか出来ていない心の喩え



私(も)水族館で見るときにはエイとマンボウが好きです♪



上半分(上半分って..)はいつもの草野節的なぶつかって笑うとかじゃれあって笑うとか弾けて笑うみたいな感じ
そのあとの
懐かしいだろ? 可愛らしいだろ?辺りはこれまた草野節キュンキュン的で
どういう気持ちなのかな草野さんの兄的視点なのかなと勝手に考えは膨らむ=すごく愉しい
という個人的パターン


これでいいかな? ダメって言うかな?
ってなんだよ!
やめてくださいよね
そういう感じの言葉を入れてくるの、、
これは七色というか玉虫色というかもう
色々な気持ちに一度にもっていかれるひっどい言葉、ひっどいよ
すごくすごく、すごく、すごくいい意味でこっぴどい


この歌詞はどういう感じにもとれるようにはなっているけれど
恋愛的な要素はあまり感じずに聴きたい個人的には
そういう軽くて楽しい、じゃれあうだけではなくなってしまったんだみたいな感じが全体的に強いから
強いからね


ーーーーーー〰〰。



〝現実と離れたとこにいて こんな風に触れ合えることもある
もう会えないって 嘆かないでね

お願い夢醒めたら 少しでいいから
無敵の微笑み 見せてくれ
君は生きてく 壊れそうでも
愚かな言葉を 誇れるように

涙が乾いてパリパリの 冷たい光受け立ち上がれ
まだ歌っていけるかい?〟




現実と離れたとこにいて こんな風に触れ合えることもある
なんてもう言葉そのままの
感激的な表現



“愚かな言葉を誇れるように”

は、悲しいことがあった時に人の中の毒々しい部分が洗い流されたような、その時は無くなったように思っていても
それでも生きていればまた考えはじめてしまう人間の愚かに思える考えの数々とか言葉の数々(笑)
ここは(笑)でいいでしょうね多分

でも
愚かな言葉が生きている証なんだよ、と草野さんに言われたら、どう?(言ってないけど)
泣きそうになるね、あの声だと


“冷たい光”

は、白い世界の雪風なら雪の冷たいだろうと思うけど
冷たい、けど、光、ということで、すぐでてきたのは
「小さな生き物」の中の
臆病な背中にも等しく雨は降るというフレーズ
冷たいけど光というのがかろうじて生きていこうとする気持ちの喩えみたいな
世の中でも自分の中ででも絶望と希望、闇と光が
世界には全てが背中合わせで存在する、ということの喩え
ちょっとズレたかな


下半分(下半分って..大雑把な)はすごく直接的に語りかけているような詩だけど

さらに最後の一行になると
まだ歌っていけるかい?って、歌って?いけるかい?て聞くから
誰かに聞いているのか
スピッツの歌でよく思うことのある
自分に向かって言っているんだったのかな?って
思うことにして終わらせるみたいな感じ個人的に
ふ~ん、へ~そうなんだ~って終わらせてまた聴く=一生やっていられるリピート


にしてもこの曲はなんかめちゃくちゃ懐かしいんですけど
スカーレットがドラマの主題歌で流れてた頃を一瞬で思い出す感じがしてそれだけで泣ける
あーあ


ずいぶんはしょりましたがこの辺でm(_ _)m
さようなら